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4.(自作ゲームソフトで数百億になった青年の話)
1973年(昭和48)のことです。
札幌に小さな無線機ショップが創業されました。
当初、喫茶店を開業する予定だったそうですが、
一軒先に喫茶店があることからこれを断念。
(なんで、すぐわからないのでしょうか(笑))
そこで、趣味から来る無線機ショップにしました。
ですが、お店の商売はうまく行きませんでした。
それもそのはず、店主は奥にこもっていました。
パーソナル・コンピュータを購入したことから、
当時高価だったパーソナル・コンピュータで遊んでいたのです。
まだ、パソコンという名称はなく、
パーソナル・コンピュータ=パーコンと呼ばれていました。
フロッピーはなく、記憶媒体はカセットテープだった時代です。
店主がこうでは、商売はうまく行きません。
仕方ないので、弟さんが店先に出ていました。
やがてパーソナル・コンピュータやキットを取り扱うようにもなりました。
(なんか成り行きばかりのようです。)
しかし、
ある時、奥にこもって遊んでいた店主の兄がおもしろいものを作りました。
アルバイト学生と一緒に、お遊びで
パソコン用ゲームソフト
を作ったのです。
猿が木に登るようなゲームでした。
パーソナル・コンピュータやキットを取り扱う事になった為もあり、
趣味の青年達が集まっていき、いろいろなゲームソフトが作られていきました。
そこで、
これらのパーソナル・コンピュータやキットの、
仕入れ先だったシャープの担当者の勧めで、
当時出来始めていた「アスキー」などのパソコン雑誌に通信販売として
載せてみました。
大変なことが起きました。
郵便配達人さんが、毎日毎日、
「まるでサンタクロースのように」
現金書留封筒
の一杯入った大きな袋を、
持って来るのです。
それは、全国から寄せられた、
ゲームソフトを求める人達の購入希望
でした。
当時は、パーソナル・コンピュータやキットを購入しても、
使えるソフトがなかったのです。
干天の慈雨のように、ソフトが求められていた時期でした。
ゲームソフトはカセットテープで、毎日全国に送られて行きました。
出せば出すだけ売れるという状態でした。
さて、この無線機ショップはどこか?おわかりでしょうか?
札幌に本拠を置く老舗のゲームメーカー
趣味だった鉄道模型から名前を取りました「
CQ ハドソン
」という無線機ショップ。
ゲームメーカー「
ハドソン
」の創業秘話です。
一方、秋葉原でも、販売店の中に、
店に来ているお客さんの作っているゲームソフトやユーティリティを
発売しているところも出始めていました。
その店に通っていた常連客の作った物を買い取っって販売して行きました。
ゲームソフトは、少なかったため出すだけ売れるという状態でした。
さて、
今、再びそんなことが求められて来ています。
大手に育ったゲームメーカーが悩み出しているのです。
膨大に膨らむ開発費、
なかなか出ないヒット作品。
やっとメーカーは、気づき始めました。
綺麗なビジュアルやリアイティだけを求めてもヒットする訳ではない
と。
現点に帰り、簡単でも飽きのこない楽しいもの。
それが
必要
だったのです。
自作メールソフトで
数十億になった青年
自社携帯ソフトで
上場株価60万円